国民年金に関する駄文
国民年金制度についてです。
巷で言われる国民年金に入る理由は主に3つです。①「年金はもらえます。」②「財源の半分は税金なんだから入らなきゃ損」③「突然、死亡したり障がいを負った時に給付される年金もあります」
今回はこれらについて考えていきます。
以下、断りなく年金と書いた場合は国民年金を指すとします。
①年金はもらえます
これは間違いないでしょう。現在年金は「給付水準維持方式」ではなく「保険料水準固定方式」が採用されています。導入以降、年々上昇してきた保険料ですが、16900円で打ち止め以降は年金支給額を減らすことで収支のバランスを取ろうという考えです。
年金が減ることはあっても貰えなくなることはなく、保険料も現時点では上限が確定している状態です。そして、その上限も現在の保険料よりほとんど変わらないということですね。
②財源の半分は税金なんだから入らなきゃ損
これが微妙です。国民年金はもちろん税金が投入されていますが、損得については具体的な数字から考えてみましょう。
現在の保険料はほぼ年額20万円。「保険料水準固定方式」の上限もほぼ変わらないので、20歳から60歳までの40年間で総額約800万円を支払う計算です。65歳からの年金支給額は年額約78万円。11年受給すれば元を取れる計算ですね。年齢にすると76歳。男性の平均寿命80歳よりも下。つまり得する可能性の方が高いわけです。
しかし、「保険料水準固定方式」で受給額がこれから増減します。2014年の政府の試算では30年後に3割減。つまり年額54.6万円。
65歳から受給開始が維持されるとして800万円の支払いをカバーしようと思うと何歳まで生きればいいのでしょうか。
ちょうど80歳。
まるで狙ったかのように現在の男性の平均寿命なんですね。
寿命が延びるはず、延びたとしても受給額が減るだけ、そもそも政府の見通しが甘いなどいろいろと言われてますが、未来の全てが平均的に予定通り進めば今の若者はちょうどプラスマイナスゼロの制度になっているんですね。そして次の話題になるわけです。
③突然、死亡したり障がいを負った時に給付される年金もあります。
「予定通り」であれば国民年金はプラスマイナスゼロになる制度だとわかりました。
プラスマイナスゼロの制度に入る意味があるのか。そこで取り上げられるのが障害者年金や遺族年金です。これらは事故や病気で想定外のことが起きた時に貰える年金、つまり保険です。
本当に国民年金がプラスマイナスゼロの制度であればタダで保険に入るのに等しいので入って損はない。ましてや税金も投入されているのだから、という考え方ですね。「予定通り」進むと信じるならいい考えだとおもいます。
ここまでは、客観的に数字から年金制度を考えてきました。ここからは、ぼくの独断と偏見による所感、自己選択について書こうと思います。
保険料の上限が設定されたことは述べましたが、それはつまりそれまで保険料が上昇してきたということです。言い換えれば、年齢が上がるにつれて支払ってきた総額は少ないということです。
僕が生まれた20数年前の時の月額保険料は1万円を切っています。
支払い額が少ない世代より支払い額が多い世代の支給額が少ないなんて納得できません。
少子化だからしょうがないと言われるのでしょうが、なぜ少子化なのか。それは支払い額が少ない世代が子供を産まなかったからです。
国民年金は税金により若者でもプラスマイナスゼロになる可能性がありますが、世代間の格差は明白です。不景気のなか懸命に生きている若者より、納めた保険料も少なく、貯金も多い世代がたくさん受給する制度は明らかにおかしいと思います。
景気のいい時代に生まれ育ち、老後の年金の見通しも良い時代に結婚し、自分たちは子どもを産まず少子化を引き起こし、年金の支払いは人口の少ない少ない子どもたちに多く負担させる。
ぼくは絶対に納得できません。
学生特例を受けたとしても、働き始めると強制的に給料から天引きされます。もはやジジイたちのカツアゲです。
障害者を負った場合や長生きした場合、物価上昇などのリスクもありますが、日本人には生活保護を受け、最低限の生活を送るという立派な権利が保障されています。
非常時でビビらせて安心を買わせるなんて、ヤクザのみかじめ料のようなアコギな商売です。
ぼくは年金を払うぐらいなら自分で資産運用をしたいです。自分で勉強して日本の経済に貢献したいです。
若者がこのような声を大きくして、暑くても寒くても自転車で選挙会場に向かい投票し、無賃で快適なバスや電車を利用して選挙にくる老人たちから利権を奪える日が来ることを願っています。