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セカイと僕の相性は

Botches, Be Ambitious. 一人でコソコソとマシな生き方を考えてます。

民主主義という戦争について 「ギャングース」カズキの最後の言葉から

 更新が開いてしまいました。

漫画のネタバレが入るかもしれませんがご了承ください。

 今回は、お堅い民主主義というテーマです。

 僕の好きな漫画にモーニングで連載されているギャングースというものがあります。

 その中でカズキという育ちに恵まれなかった主人公が(内容のみで字面はうろ覚えですが)「世の中の人の半分が思ったことが現実になるっていうのが本当だったら、恵まれない子供だって救われるはず」みたいなことを言うんですね。

 過半数の意見が総意となる民主主義のことですね。今回のテーマです。

 では、なぜ子どもたちは助からないのでしょうか。

 そもそも日本の投票率の低さや政治的関心の低さは散々問題として要因から解決策まで議論されてきました。

 僕は、日本の民主主義のレベルの低さは「危機感の欠如」にあると思います。

 

 そもそも政治家は全国民を幸せにする学級委員長ではありません。選挙で自分に票を入れてくれた人たちの代弁者として政治活動を行うのです。そもそも民主主義は全ての人を幸せにするものではありません。一番多く票を集めた意見が国民の総意となるのです。

 どういうことかというと、選挙とは若者vs老人、男vs女、高所得vs低所得、都会vs地方などのそれぞれの層で日本中の利権や税金を取り合うものなのです。

 選挙にこない若者が、暇つぶしに選挙にくる老人の電車代を税金から負担させられる状態は、民主主義によって若者が老人に敗北したことを意味するのです。

 

 ここで重要なのは全ての人に一票が与えられていること、票を入れなければどれだけ正しいことでも意味がないということです。

 例えば保育園を作れ日本シネと、デモをしたとするでしょう。マスコミも取り上げます。朝日新聞毎日新聞あたりでしょう。でも、それだけでは何の意味もないのです。それで自分たちの意見を主張することには成功しました。次はその意見をもって選挙にいくこと、出来れば団体を結成して組織票を持つこと。そうすれば、その票欲しさに選挙の際に「保育園を作る」と代弁してくれる政治家が出現します。そして、仮にその人が当選したとして、任期中に宣言したことを実現させる実行力があるのか、なければ次は別の人に入れるということを繰り返すことで自分たちの意見は政治に反映させていくのです。

 代弁してくれる候補者がいなければまずは白票を入れればいいのです。選挙にこない層向けの政策など政治家にとって何の意味もないのですからするわけがありません。まずは自分たちの票層をアピールする必要があります。

 それをデモだけやって、新聞に載っていいことをした気になって、投票日に選挙に行かずにパンケーキでも食べならが女子会をやっている。そして帰宅後は夕方ワイドショーで政治家の不祥事をみて、「自分たちは毎日こんなに苦労してるのに」などの感情論をボヤく。そんなことをしているだけでは社会は変わりません。自分の一票を大切にしましょう。

 

 また、大多数の人は素人です。これは政治以外の全ての分野に当てはまります。ファッションから数学まで世の中の大多数の人たちは「わかっていない」連中です。そのため「わかってる」連中がリードして分野は進むわけですが政治は「わかってない」素人の多数決に支えられます。

 簡単に言えば、TPP反対、原発反対、集団的自衛権反対、公務員給料減らせ、地方にお金をよこせ、という理想論が人気も出て本来は強いはずなのです。実際は綺麗事では解決できないから、世の中が動いているわけです。しかし、そのような事情を知る少数派の知識人の意見と素人の感情論が選挙の際は同等に扱われてしまうのです。子供手当にしか興味のないマイルドヤンキーから日本はどうあるべきかを考える大学教授まで同じ一票なのです。

つまり、民主主義平等選挙とは低所得低学歴の人たちへの出血大サービスなんですね。

 ただそのような弱者たちは出血大サービスだということにすら気づかないわけです。そしてテレビで文句だけ言って選挙にこないのです。

 その結果、アベノミクスは選挙に来る大企業や高所得者など強者の票を集め政治的には絶好調ですが、テレビでやネットでは選挙に来ない弱者のアベノミクス批判が大半という矛盾した現象が起きるのです。本当にほとんどの人がアベノミクスに反対すれば、自民党が圧勝するはずなどないのですから。

 この投票率の低さが起こした選挙に来る有権者の層が偏る状態は良いのか悪いのかはなんとも言えません。会社に例えるとわかりやすいかもしれません。あまり頭の良くないアルバイトから社長まで全員平等で民主主義で意思決定を行い会社を回せば従業員の満足度の高いホワイト企業が完成するでしょう。しかし、競争力を維持することは難しいのです。大半の現場職員は現場のことしか知らず会社の経営や方針、コスト管理の専門知識などないにも関わらず意思決定に絡んでしまうからです。

 なので、普通は成績の良い優秀な人材に権力を集中させることで独裁的ですが効率的な意思決定を行い会社の競争力を高めるのです。その結果、ブラック企業が生まれる可能性もあります。しかし、民主主義ホワイト企業では倒産する可能性もあるのです。どちらが良いとは一概に言えません。

 サッカー日本代表をファン投票で選べば人気は出るでしょうが、他国に勝てるのでしょうか。おそらく専門家の監督や協会に任せた方が日本代表は強くなるでしょう。

 

 今の日本は、選挙権を全員が持ちながらも国民全体の意識は低く、それなりの意識を持った人しか投票しないため、憲法改正などの現実的な意思決定が可能な状態なんですね。

 最初のギャングースのカズキのセリフに戻れば、「選挙に来る人の半分が思ったことが現実となる」、そして選挙に来る人は高学歴高収入都市圏大企業中年男性が多い。そして彼らの意見が国民の総意となっている状態なのです。

 投票率が6割だったから過半数は3割です。3人に一人以下の少数意見でこの国を動かせるわけです。

 

 民主主義に絶対的に正しい意見なんてありません。自分がどんな人間で誰が一番自分に利益をもたらしてくれるのか。

 負ければ自分と真逆の奴らに自分の税金が使われる。

 まず、そのことに個人としてとにかくシビアになることが民主主義を発達させる最初のステップだと思っています。

 どうすればこの国が良くなるのかなんてその次の段階の話でしょう。