セカイと僕の相性は

Botches, Be Ambitious. 一人でコソコソとマシな生き方を考えてます。

どうでもいい小話。ブスほど本を読め。

 今回は本当にどうでもいい小話を一つ。おそらく文章もめちゃくちゃです。人によっては不快な思いをさせるかもしれません。ブスについて語ります。ご了承ください。

 

 アメリカに東海岸the strokes/ストロークスというロックバンドがあります。あのレディオヘッドの「ok computer」や「kid a」でインテリ化が突き抜けてしまった感があった当時のロックシーンをファーストアルバムの「Is this it」の衝撃で原点回帰させたバンドです。ストロークス、ホワイトストライプス、リバティーンズ、ヴァインズ、バイブスなどのバンドの登場で、リバイバルムーブメントが巻き起こりました。

 ストロークスのメンバーは全員がイケメン、高身長で、富裕層の子息(一人だけ一般家庭出身、でもイケメン)という反則スペックです。MCになると急に自嘲的になって腰が低くなり、そういうところも育ちの良さを隠せないお茶目な感じで。

 そんなイケメンたちに、最高にクールでシンプルで都会的なロックを気だるそうにされてしまうと、イギリスが誇る最高のロックスター、リアムギャラガーでさえ「てめーらなんか怖いと思ったことがねーんだよ」と訳わからんガンを飛ばすしかない訳です。あの世界というスープにフォークで戦いを挑むリアムがですよ。

 実は、ストロークスの圧倒的な外見は偶然ではなく必然なんですね

 代々お金持ちの家に生まれた彼らはお金持ちのおじいさんが美人のおばあさんを口説き、エリートとして生まれたイケメンのお父さんが美人のお母さんを口説くというループに入っているわけです。

 ボーカルのジュリアンのお母さんは元モデルでミス デンマークに輝いたこともある美人さんで、ギターのアルバートのお母さんもアルゼンチン人の元モデルで美人コンテスト優勝者だそうです。

 所得の差が開く、それが教育にも影響を与え、結婚相手も決めてしまう欧米ではお金持ちは必然的に長身美形高学歴になるようになってるんですね。

 

 ハーバードもケンブリッジも私立大学ですが、日本の東京大学は国立で年間の学費は60万以下です。かつ、シビアな受験戦争を勝ち抜いた人が平等に入学できる受験システムになっています。

 そして、新卒採用と終身雇用が根深く良くも悪くも残っているため、在学中は興味の赴くままに好きな分野を勉強できます。哲学を勉強して、銀行員に普通になれるのはおそらく日本だけです。北欧の教育大国と呼ばれるような国々でさえ、歴史や文学の学生は就職が難しいため女の子か金持ちがほとんどだそうです。

 バカとブスほど東大に入れとはよく言ったものですね。東大はダメでも比較的偏差値が高い国立大学が最も学費が安いという事実は、貧困家庭の子どもたちに勉強を勧めるのに十分な理由となります。所得と学力の相関関係が指摘されて久しいですが、それはレベルの高い大学ほど貧乏人が少なく授業免除や奨学金が受けやすいということにも繋がります。

 そんな素晴らしく平等な学生期間を過ごした日本の学生たちは、勉強していようが遊び呆けていようが、ほとんどの人は民間起業または公務員に就職します。

 その中でトップクラスの企業かつ、トップクラスの出世コースに乗った人たちが駐在員としてロンドンやニューヨークに派遣されるわけですが。

 欧米は、格差社会かつドライな実力社会で、大学の専門分野で企業のインターンシップを受け、そのまま就職すれば一年目から数千万単位を稼ぐシステムです。日本のように企業に育ててもらった恩や企業が解雇しない情などのウェットな要素が少ないので実力=収入に直結するわけです。そして、終身雇用制度もないのである程度貯えた優秀な人は、40程度で引退し、投資家や資産家の道をのんびり歩むわけです。

 実力のある若手とは、ストロークスのループにいるイケメンかつ金持ちの子どもです。

 そんな彼らと、格差の小さな社会でトップを走ってきた日本駐在員が同じ高級住宅街に住むことになるのです。するとどうなるのでしょうか。

 僕は少しの間、そういう都市に滞在したことがあります。正直に言います。ブスかデブかチビがいたらそれは日本人の駐在員かその家族だと一発でわかります。

 そして、駐在員たちも隣のビルで働いている外国人たちは何倍も給料を稼ぎ、大学時代単位を取っていただけの自分と違い教養もあるという現状に耐えきれず、日本人コミュニティに逃げ込み、自分たちのための日系キャバクラを作るのです。

 これを言うと、よく「じゃあ外国人になれよ」などと言われますが、僕が言いたいのは日本人がお金を稼いでも意味がないということではありません。

 一つは、大学時代に好きなことを勉強して教養を身につけろということてす。

 文学や哲学や生物学など、就職に役立たない勉強をしても就職出来るのが日本で、法学や経済学も海外の学生に比べれば圧倒的に楽に卒業できます。他の専門分野を齧る機会はたくさんあるのです。

 一流ビジネスマンになっても、旅行や外食、キャバクラやブランドショップしか行くところがない人は多いでしょう。それで大きな顔をして駐在先に乗り込んできたら、白人イケメンエリートの足元にも及ばない。そんな人生から抜け出せるセンスや教養を磨くチャンスが日本の大学生の期間にはたくさん用意されているのです。一流ビジネスマンが教養もあれば最強でしょう。

 もう一つは、日本の一流サラリーマンでもそこまで年収が高くない、だから別の楽しみを探せということです。日本の終身雇用や年功序列に守られた労働者たちは、子どもたちにも自分と同じ道を歩ませてきました。しかし、バブル経済の崩壊後は一流企業に入っても褒めてくれる親や評価してくれる上司より生涯年収が低いという状態が続いています。これだけ格差が少ない社会で、エリートレールも20年以上陥没し続けている現在、自分の好きなことを探して生きるという選択肢の価値も上がっているのではないでしょうか。社会の多極化が進んでいるため、インターネットなどを利用して働きながら、自分のしたいことを追求するという生き方も簡単になってきました。

 ワークライフバランスという言葉も流行っていますね。

 日本の企業戦士たちは社畜と揶揄される現代で、社畜のドッグレースなど嫌になればいつでも降りればいいのです。

 

バカとブスほど東大にいけ、そしてチビとブスほど大学で本を読め。

この一言にまとめたいと思います。

 

 

 社会の多極化やテンプレレールの老朽化はいわゆる「意識高い系」が大企業批判としてよく行っているんですが、それも少し違うかなーと思っています。

 それは常識の近代と自己選択の現代の問題になるのでまた、機会があれば。