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セカイと僕の相性は

Botches, Be Ambitious. 一人でコソコソとマシな生き方を考えてます。

本田圭佑というサッカー選手について-ミラニスタの独り言-ACミラン編

僕の考え サッカー 好き嫌いの話

ACミランに所属する本田圭佑選手が、2016年10月25日のアウェーのジェノア戦で今シーズン初の先発出場。

しかし散々なパフォーマンスで、現地ファンから酷評を浴びているようです。

 

僕は、子供の頃からのミラニスタです。

現在20代前半の僕のミラニスタ歴などミランを愛して数十年というおじさま方の足元にも及びませんが、初めて好きになったスポーツチームはACミランでした。そこだけは神様に誓えます。

今回は、僕が大好きなACミランと尊敬する本田圭佑選手について書こうと思います。

二部構成です。

 

本田圭佑というサッカー選手について-ミラニスタの独り言-ACミラン編」

僕にとって、ミランの10番はルイコスタです。

CLのレアル戦での、シェフチェンコへ出したあの伝説のスルーパスが僕とミランの出会いでした。

カカが圧倒的な活躍を見せ、自身は出場機会を失い、サッカー紙ではファンタジスタ絶滅論が飛び交う中、試合に出れば優雅なプレーできっちり仕事をし、先輩選手としてカカにアドバイスを送り続けたルイコスタ。

そのカカが移籍先のレアルでは怪我もあり出場機会を失い、現代サッカーに対応した当時の最新型ファンタジスタのエジルがレアルで台頭してきたときは、複雑な気持ちで眺めていました。

2010年代初頭にトップ下不要論が叫ばれた時には、イブラヒモビッチらの2トップの後ろで躍動感あるプレーを見せたボアテングに新しいトップ下の可能性を感じていました。ノチェリーノも良かったですね。

 

黄金期では、中盤の底からピルロが試合を指揮し、狂犬ガットゥーゾがボールを追いかけ、カウンターを受けた時はアンブロジーニがニクいファールで流れを止める。大一番やシーズン終盤になると、抜群の存在感を示すセードルフ

 

もちろんマルディーニは最高のDFだったでしょう。でも、僕にとってミランの最終ラインはネスタのモノでした。

2011年、当時は超絶パスサッカーで攻略不能とも言われたバルサとのCLグループリーグでの対戦。

バルサのパスサッカー攻撃に、セオリー通りにブロック守備を敷いて対応するミラン。ブロック守備ではシャビを中心としたバルサのパスサッカーには対応できますが、メッシにドリブルのスペースを与えてしまうという戦術的に解答不可能の問題がありました。

そこで、当時のアッレグリ監督はネスタに全てを託したのです。パスサッカーはみんなで守る、メッシはネスタがなんとかしてくれる。

ネスタはボロボロの身体を駆使し、最後には必ず脚を出し、百戦錬磨の読みでメッシの突破を幾度となくストップさせました。その日、何度目かのネスタのタックルを受け自嘲的に空を仰いだメッシの顔が印象的で今でもよく覚えています。

そして、バレージからマルディーニ、スタム、ネスタの系譜を継ぐミラン自慢のCB、チアゴシウバが試合終了間際に感動的な同点ゴールを決めるのです。

 

ズラタンとチアゴシウバが同時にパリへ移籍し、ネスタMLSへ、ファンボメルに出場機会を奪われたピルロはユーベにいて、インザーギは引退。カッサーノはそんなクラブに愛想をつかし宿敵インテルへ。

そんな時にミランにやってきたのがモントリーボで、クラブに残りチームを鼓舞し続けのがアンブロジーニでした。デシリオのデビューやエルシャーラウィのブレイク、クリスタンテの売却もありましたね。

2012年のボロボロの状態からシーズン終盤の追い上げ、CLではようやくバルサに勝利、2013年にフィオレンティーナに移籍したアンブロジーニが背番号21番をつけて中盤の底でプレーしているのを見た時はおもわずニヤリとしたものです。

ニヤリと言えば、アムステルダムを訪れた時に、飾り窓のピンクのライトに照らされたお姉さんよりも、街角にはられたセードルフのステッカーに口元が緩んだ思い出もあります。

 

出来事の時系列はかなりグチャグチャになってしまってますが、そんな沢山の思い出があるミランに初めての日本人選手である本田圭佑選手が来た時は、いろいろな感情が渦巻き複雑な気持ちでした。

もちろんミランは大好きです。

本田圭佑選手も尊敬しています。

日本人離れした自信や結果主義、ピッチの上でのプレーの意識も、日本サッカー的な技術も高校サッカーの経験も。

彼ほど、ピッチの上でも外でも自分が何をしているのかを把握して、次にどう行動すればいいのかを考え抜いているサッカー選手を他に知りません。

ただ、そんな本田圭佑選手がミランでプレーすることに、どうしても違和感を感じてしまう僕があの時いたのです。本田デビュー戦のために日本中からミラニスタが集まった阿佐ヶ谷のスポーツバーに。

 

本田圭佑ミランのレベルではない、レベルにあったとしても本田のプレースタイルはミランに合わない、などの典型的な頭の固い古参ファンの意見にも僕は違和感を感じていました。

財政難による選手の質の低下や、ついてこない成績とサポーター。当時のミランが過去10年以上のなかで屈指の苦難の中にあったことも影響していたのかもしれません。

ただ、現在でも僕はこの違和感の正体を掴めずにいます。 一部終

 

次は、ようやく本田圭佑選手について書こうと思います。

 

ではでは。

おやすみなさい。

10月27日、明け方。