最近の若者の学問研究方 -Ciniiの可能性- 第1章
続けての更新です。
一夜明けて読み直してみると、Spotify論が我ながらあまり面白くなかったので。
一応まだ大学生なので、今回は最近の学生の研究の可能性を書いてみようかなっと思います。
これも、最近の若者は論的なやつですね。
最近の若者はネットの薄っぺらい知識ばかり信じる。
便利な情報社会なのにまともな専門知識を学ぼうとしない。
などなど色々言われていますが、ググったらなんでも出てくる時代であることは間違いないと思ってます。
国立情報学研究所の展開するCiniiという論文検索データベースをつかって、簡単に論文を見つけることができる時代。
今の学生と教授たちの時代では、どんな風に研究環境が変わっているのか、自分の考えを書いてみます。
三部構成の一部、まずはインターネットが当たり前の学生の頭の構造について。
文献検索がメインの人文科学学生としての意見です。
「最近の若者の学問研究方 -Ciniiの可能性-」
一章 ネットバカ
2016年10月26日 夕方の終わり
「ネットバカ」という本がある。ニコラス・G・カーというアメリカの著述家が2010年に刊行した本だ。
内容としては、最近の若者は知らない言葉があればすぐにスマホでググることができる。それに慣れすぎて、長い一冊の本を読むことができない、という旨である。
例えば、「CiNii」という単語をあなたは知らなかったとする。あなたはすぐにポケットからスマホを取り出して「CiNii」と検索するだろう。そして、その言葉の意味を知り、その言葉について知っているつもりになる。
グーグルがなければ、あなたは図書館に行って「CiNii」について調べ、専門書を見つけなければいけなくなる。おそらく図書館情報学かなんかの分野になるだろう。
そして数百ページの専門書を読みその言葉の意味を知る。このとき、あなたは言葉の意味だけでなく、図書館情報学において「CiNii」の存在にどういう意義があるのか体系だった知識の一部として「CiNii」を捉えることができる。
インスタントにググるだけでは意味の情報は入手できても、体系だった知識は入手できない。
また、このインスタント検索に慣れてしまった若者の脳は、本を一冊読むことができない。
周りくどい表現や論理を理解する労力に耐え切れず、本に出てくる用語や概念の断片をググってなんとなくわかった気になって満足してしまうのだ。
僕はそれなりに本を読む方だけれど、kindleやPDFの論文はあまり進んで読めない。集中できないのだ。
一方で、父親がiPadのkindleで専門書をサクサク読んでいるのを見て、倒錯したジェネレーションギャップを感じていたのだけれど、ネットバカを読んで原因がわかった。
僕もかなりグーグルに慣れすぎているのだ。紙の本を読むことはできるけど、グーグルにアクセス出来るデジタルデバイスのディスプレイ上で本を読むことが出来ないのだ。
周りくどい表現や論理に耐えながら紙のページはワクワクしながらめくっていけるけど、ディスプレイの前になると我慢できずグーグルで検索したくなってしまう。
頭の中でグーグルがチラついて目の前の周りくどい文字の羅列に集中できない。
そんな反射反応をしてしまうのだ。
それは仮にオフライン環境だとしても当てはまるだろう。
ディスプレイ=グーグルという関係が脳内に染み付いてしまっているのだ。
このような若者たちは、固有名詞や、概念や用語などの意味を調べて情報を集積することは得意だけれど、それらで体系だった知識を構築することは苦手である。
高校までの詰め込み教育や、知ってるか知らないかのマウンティングは出来る。
でも、それらを叩き台にして、研究に取り組み新たなことを明らかにしたり、自分の論理を組み立てて面白いことを言ったりは出来ないのだ。
知識量と国籍や学歴など団体への所属が全ての2chのネトウヨたちは、自分の考えをもった一個人になれず、小市民から抜け出せないのだ。
こんな僕たちの世代に、大学の学問の世界で親や教授たちのアナログ世代を乗り越える方法はあるのだろうか。
それとも、大学の学問そのものがおっさんたち向けのコンテンツなのだろうか。
一章終
大学で威張ってるおっさん教授世代って、大学で勉強せずに新卒採用に乗っかっても景気良くていい時代だったんですよね。
っていうのはまたの機会に。
ではでは