セカイと僕の相性は

Botches, Be Ambitious. 一人でコソコソとマシな生き方を考えてます。

どうしてGACKTは一流芸能人なのか。-芸能人格付けチェックから-

税関職員への苦言で話題のGACKTさん。今日は彼の話題です。

 

芸能人格付けチェックという新年恒例の番組がありますね。

一流の最高級のモノと二流以下のモノを食べたり飲んだり聞いたり見たりして、審美眼を競う番組です。

音楽やワイン、映像や盆栽などの分野で、利き酒のようなゲームをやって、全ていいものを見極められれば、一流芸能人の称号をもらえるという企画です。

 

その中で断トツの強さを誇るのがGACKTさん。今年の番組開始時点でなんと42問連続正解中。GACKTさんの答え=正解になってしまうので、GACKTさんだけ解答が発表まで伏せられてしまう特別待遇まで受けています。

 

今回はなぜGACKTさんが強いのか、目利きとは果たして何なのか、育ちの良さとは何なのか、について考えていこうと思います。

 

なぜGACKTさんは強いのか

GACKTさんが強い理由として、一つ挙げられる確実で圧倒的な理由は、答えを「知っている」ことです。

今年の100万円のワインと5000円のワインの利き酒企画で言えば、1928年のビンテージ物のシャトー・オ・ブリオンというお酒を知っているのです。

それそのものを飲んでいる場合はもちろんですが、他の年代のシャトー・オ・ブリオンがどんなワインなのか、90年近いビンテージのワインとはどんなものなのかを知っているのです。ヤラセという意味では決してありません。

多くの他の参加者が、良し悪しで判断をつける中で、GACKTさんは正解の味を想定し、適合率で答えを出しているのです。そして、その正解の味の想定の制度が非常に高いのです。

他の例に例えてみましょう。

僕は、ロックミュージックがとても好きですが、ギターはほとんど弾けません。

果たしてそのギターソロは世界的ギタリストのものなのか、実力派スタジオミュージシャンやインディーバンドのギタリストのものなのかという問題がでたとします。僕はおそらくGACKT並みの正解率で聞き分けは出来ません。(100問ぐらいやれは他の人よりも正答率は高い自信はあります笑)

でも、「世界的ギタリスト」が僕の「知っている」ギタリスト、例えばジャックホワイトやジョンフルシアンテ、ジョニーグリーンウッドであれば正解率はぐっと上がるでしょう。

ギターの上手い下手、機材の良し悪しだけではなく、癖や好みでそのギタリスト「らしい」音を選べばいいのですから。

GACKTさんはその適合率解答式を特にワインやお肉、バイオリンなどで圧倒的な精度で用いることが出来るので、間違えることがないのです。

今年で言えばバイオリン聞き分けの時に、「ハーモニーが合っているのはBだが、ストラディバリウスの音は間違いなくAだ」と自信満々に答えたのが印象的でした。

 

目利きとは何なのか

以上から、目利きとは2種類あることがわかりました。

モノの良し悪しでいいものを選べる目利きと、「知っている」ものかどうかを選べる目利きです。

ここで、指摘したいのはある程度ちゃんとしているモノと超一流のモノの良し悪しの目利きは非常に難しいということです。

今年の100万円のワインを例にとります。100万円とはヴィンテージものが高級ホテルで出される時の値段であり、2010年代ならせいぜい数万円、楽天では1万円代から販売されてます。(ワインに詳しくないので見当違いのことを言っているかもしれませんw)

それと5000円のそこそこちゃんとしたワインの比較になると、モノの作り自体は本当に世界的ギタリストと実力派若手バンドのギタリストぐらいの比較になってしまうんですね。5000円のワインもキャバクラだとおそらく数万円しますから。

 

育ちの良さとは何なのか

その違いをわかる人は、本当に良いものだけを与えられて育った育ちのいい人たちだけになるでしょう。実際、現在は大金を持っているはずの売れっ子芸能人達でもわからないのですから。

GACKTはお育ちは良くないようですが、自身への投資をケチらない人なようなのでお育ちの良い人と同様のモノの良し悪しがわかる目利きも手に入れているのでしょう。

 

育ちが悪いなりのセンスとは

育ちが悪く、お金のない人がものの目利きを身に付けようと思うなら「知っている」モノかどうかの目利きになるでしょう。

ギターの腕はわからないけどジョンフルシアンテのギターは好き。

ファッションはわからないけどアレキサンダーマックイーンは好き。

ウイスキーはわからないけどマッカランは好きなどです。

それはつまりブランドで、何が凄いかもわからなくても、それとそれ以外の区別が出来ればお金を払う価値になるでしょう。

ジョンフルシアンテの来日なら、レディオヘッドの来日なら彼らの何が凄いかわからなくても好きだから高いチケット代を払ってでも行くなどです。

そして、音楽や映画、文学はどれだけ制作費がかかった大作でも大して値段は変わらず、図書館やツタヤでたくさんの作品に触れることができるのです。

レコード会社を一つ潰したマイブラのラブレスも、デーモンが旅行中にiPadで作ったゴリラズのアルバムも全て同じ価格で触れることができるのです。

 

それがロックンロールや文学の面白さだと思います。

育ちの悪い奴ほど、音楽を聴け、そして本を読め、好きなことをしろ。そしてGACKTを目指せ。

 

今回はこれでまとめたいと思います。

 

 

常識、モラルについて。モラハラとは勝利である。

こんばんわ。

 

今日はモラハラについてです。

 

モラハラとは、モラルハラスメントのことで、モラルによる精神的な暴力、嫌がらせのことですね。

例えば、食費月3万円でやりくりできない妻に、「充分やれるはずだ、お前の金銭感覚は異常だ」という夫。

仕事で忙しく家族サービスの出来ない夫に、「私たちの時はもっと大変だったけど、ちゃんと家族サービスをしていた」という妻側の義父母。

他に定義はあるのでしょうが、今回は「自分の常識を棚に上げ他人に押し付ける人」とします。

 

僕は、育ちがガサツなのもありますが、絶対の常識なんて存在しないと思っています。絶対なんてないことだけが絶対だと思っています。

もちろん、人それぞれ常識は違います。

お茶を出した時、出して頂いた立場だから家主が飲むまで口をつけないのがマナーと思っている人もいれば、それはビジネスのマナーでプライベートでは、もてなされた側が遠慮なく先に口をつけるのが礼儀だと思ってる人もいます。

 

自分の常識が受け入れられれば気持ちいいですが、どうすればそれが可能なのでしょうか。

僕はその人とその常識の魅力、値打ちだと思っています。

時間にルーズな外国人が、日本の文化に惚れ込んだとします。どうしても日本で働きたいと思い、なんとか日本の企業の面接を取り付けたとします。間違いなくその人は日本の企業の常識に従い予定時間の15分や30分も前に現場に到着するでしょう。

日本の古くお堅い会社では、書類に複数の関係者が印鑑を押す際に、一番偉い人がまっすぐ押し、下の人間は45度傾けて印鑑を押し、お辞儀のように敬意を表すそうです。自由な雰囲気な会社で働く多くの人は馬鹿げてると思うでしょう。もしかすると印鑑を傾けている本人たちも馬鹿げてると思ってるかもしれません。でも、そうすることで上司や取引先に気に入られ、その会社に残ることやその会社で出世することが出来るのです。本当に馬鹿げていて割りに合わないと思えば、転職してその人が思うマトモな会社でマトモな人たちと働けばいいのです。

自分とは違う常識をこなすことに、メリットがあれば人は相手に合わせるでしょう。つまり、自分に魅力や値打ちがあれば周りは自分の常識に合わせてくれるのです。

上司や夫や妻がモラハラだと嘆く状況は、部下や専業主婦や惚れ込んだ夫の立場が弱く相手に合わせざる得ない状況と言えるのです。

周りの非常識を嘆きたければ、自分が強くなって周りを自分に合わさせれば良いのです。

本当に割りに合わなければ、転職や配置転換、離婚などのリスクをとって自分が思うマトモな世界に逃げ込んで愚痴でも言ってればいいのです。

 

サークルの部長がかわり時間に異常なくらい厳しく、仲間内のイベントでも10分前集合で遅れれば置いていくようになった経験があります。

結果、不満が続出し僕を始め多くの人が離れ、精力的に活動するメンバーは半分以下になりました。

離れたメンバーは昔ながらのルールで集まり以前同様楽しく遊んでいました。

おそらく残ったメンバーは「あいつら時間すら守れねーのかよ」などと僕たちを馬鹿にしていたでしょう。

この例で言いたいのは、数が多い僕たちの勝利だということではありません。

僕たちも部長たちもやってることは変わらないということです。常識が近い人たちが都合よく集まりそれぞれ楽しく過ごしているだけです。(細かいことを気にしてる方が偉いと思ってる人たちは、裸の王様であることに気づいた方がいいとは思いますが。)

本来であれば、自然とそうなるわけですが、モラハラは自分とは違う常識を持った人に、無理やり自分の常識を押し付けることが出来ているのです。

それは、その人に地位や経済力、数の力、相手をうまく引き返せない状況に追い込んだ地の利などがあるから可能なのです。

そういう意味で、モラハラとは勝者の証なのです。

 

明らかにダメなことはキチンとした手続きを踏んでルールとして決まります。法律やサークル規則、入居者規則、カップルの決まりごと。

それ以外は自分の好きなように生きて、方法論的に他の人の常識に合わせて自己選択自己責任で生きていけばいいと思っています。

 

以上です。

 

都会とは、都会的生活とは。極私的都市論

今回は都会について気まぐれなるままに書いていきます。

 

 結論から言います。僕にとって都会とは自分みたいな奴らに会えるところです。

 

 田舎とはなんなのでしょうか。モノがない。人が暖かい。嫌われると村八分などなど。

 まとめると、生活が人間により左右される場所だと思います。

 良く言えば人情溢れた、悪く言えば人間臭い。

 

 都会とはなんなのでしょうか。モノが溢れている。人が冷たい。嫌われるとぼっち。

 まとめると、人間以外によって生活が左右されている場所だと思います。

 

 田舎で大切なのは人間性です。愛想がいいか、性格がいいか、常識があるか、きちんとした仕事についているか、ややこしい界隈で育っていないか、子供のしつけはされているか。

 その人の人間性全てを知ろうとし、その場所のルールやモラルに当てはめて判断しようとします。「郷に従え」というやつですね。

 

 僕が思う都会とは、そのような常識や全人的コミュニケーションが好まれない場所やコミュニティのことです。

 教室の隅っこで一人で聴いていた音楽や小説、自己満で極めていたファッション、夜中に一人で見ていたサッカー。

田舎では一人でコソコソしていたことです。それが、都会に行けば、音楽イベントや本屋のラインナップ、ブランドショップ、スポーツバーなど場所とコミュニティが供給されており、自分みたいな人たちに会うことができます。

 そこでは、何が好きで何故そこにいるのかが重要で、どんな仕事をしているのか、性格がいいのかなどは大して重要ではありません。むしろ、自分とは全く違う育ち、生活水準、学歴、職業、性格の人と会えることが楽しみであったりします。

 極論を言えば、自分に似ていて性格良く感じるひとよりも、自分の想像のつかないくらい無神経で性格の悪い人の方が、感性を共有する相手として面白いのです。

 

 数十万の人口の都市でもキャバクラや高級レストラン、ブランドショップはあります。

 しかし、大都市に行かないとマニアックな趣味のお店やイベントは少ないのです。

 

なんとなく街が栄えている、建物が豪華、人が多いから都会だとか、都会は便利という人は、田舎でぶっちぎった上位層にいる方が幸せなんじゃないかと思います。

 地元で専業主婦の奥さんと幸せに暮らし、ご近所づきあいを円満にして、子どもの成長を楽しみにする、古典的な人生を送るなら田舎の方が向いているでしょう。都会に住むメリットなど地下鉄やバスぐらいではないでしょうか。

平均所得の低い田舎であれば見栄を張る必要もなく、土地代も安いので一人一台軽自動車ぐらいは買えます。

 公務員でもインフラでも交通でも地元マスコミでもそれらの子会社でも都会で成功するほど優秀な人たちには、田舎にも仕事はいくらでもあります。

 そんな常識やテンプレを当てにせず好きなことをしてサバイバルを生き抜く覚悟がある人は都会が向いているでしょう。自分らしく生きて、自分みたいなセンスだけど自分とは育ちも常識も全然違う人たちに会えるからです。

 

 

ではでは。

国民年金に関する駄文

 国民年金制度についてです。

 巷で言われる国民年金に入る理由は主に3つです。①「年金はもらえます。」②「財源の半分は税金なんだから入らなきゃ損」③「突然、死亡したり障がいを負った時に給付される年金もあります」

 今回はこれらについて考えていきます。

以下、断りなく年金と書いた場合は国民年金を指すとします。

 

①年金はもらえます

 これは間違いないでしょう。現在年金は「給付水準維持方式」ではなく「保険料水準固定方式」が採用されています。導入以降、年々上昇してきた保険料ですが、16900円で打ち止め以降は年金支給額を減らすことで収支のバランスを取ろうという考えです。

 年金が減ることはあっても貰えなくなることはなく、保険料も現時点では上限が確定している状態です。そして、その上限も現在の保険料よりほとんど変わらないということですね。

 

②財源の半分は税金なんだから入らなきゃ損

 これが微妙です。国民年金はもちろん税金が投入されていますが、損得については具体的な数字から考えてみましょう。

現在の保険料はほぼ年額20万円。「保険料水準固定方式」の上限もほぼ変わらないので、20歳から60歳までの40年間で総額約800万円を支払う計算です。65歳からの年金支給額は年額約78万円。11年受給すれば元を取れる計算ですね。年齢にすると76歳。男性の平均寿命80歳よりも下。つまり得する可能性の方が高いわけです。

 しかし、「保険料水準固定方式」で受給額がこれから増減します。2014年の政府の試算では30年後に3割減。つまり年額54.6万円。

 65歳から受給開始が維持されるとして800万円の支払いをカバーしようと思うと何歳まで生きればいいのでしょうか。

ちょうど80歳。

 まるで狙ったかのように現在の男性の平均寿命なんですね。

 寿命が延びるはず、延びたとしても受給額が減るだけ、そもそも政府の見通しが甘いなどいろいろと言われてますが、未来の全てが平均的に予定通り進めば今の若者はちょうどプラスマイナスゼロの制度になっているんですね。そして次の話題になるわけです。

 

③突然、死亡したり障がいを負った時に給付される年金もあります。

「予定通り」であれば国民年金はプラスマイナスゼロになる制度だとわかりました。

プラスマイナスゼロの制度に入る意味があるのか。そこで取り上げられるのが障害者年金や遺族年金です。これらは事故や病気で想定外のことが起きた時に貰える年金、つまり保険です。

 本当に国民年金がプラスマイナスゼロの制度であればタダで保険に入るのに等しいので入って損はない。ましてや税金も投入されているのだから、という考え方ですね。「予定通り」進むと信じるならいい考えだとおもいます。

 

ここまでは、客観的に数字から年金制度を考えてきました。ここからは、ぼくの独断と偏見による所感、自己選択について書こうと思います。

 

保険料の上限が設定されたことは述べましたが、それはつまりそれまで保険料が上昇してきたということです。言い換えれば、年齢が上がるにつれて支払ってきた総額は少ないということです。

 僕が生まれた20数年前の時の月額保険料は1万円を切っています。

 支払い額が少ない世代より支払い額が多い世代の支給額が少ないなんて納得できません。

 少子化だからしょうがないと言われるのでしょうが、なぜ少子化なのか。それは支払い額が少ない世代が子供を産まなかったからです。

 国民年金は税金により若者でもプラスマイナスゼロになる可能性がありますが、世代間の格差は明白です。不景気のなか懸命に生きている若者より、納めた保険料も少なく、貯金も多い世代がたくさん受給する制度は明らかにおかしいと思います。

 景気のいい時代に生まれ育ち、老後の年金の見通しも良い時代に結婚し、自分たちは子どもを産まず少子化を引き起こし、年金の支払いは人口の少ない少ない子どもたちに多く負担させる。

 ぼくは絶対に納得できません。

 学生特例を受けたとしても、働き始めると強制的に給料から天引きされます。もはやジジイたちのカツアゲです。

 障害者を負った場合や長生きした場合、物価上昇などのリスクもありますが、日本人には生活保護を受け、最低限の生活を送るという立派な権利が保障されています。

 非常時でビビらせて安心を買わせるなんて、ヤクザのみかじめ料のようなアコギな商売です。

 ぼくは年金を払うぐらいなら自分で資産運用をしたいです。自分で勉強して日本の経済に貢献したいです。

 若者がこのような声を大きくして、暑くても寒くても自転車で選挙会場に向かい投票し、無賃で快適なバスや電車を利用して選挙にくる老人たちから利権を奪える日が来ることを願っています。

民主主義という戦争について 「ギャングース」カズキの最後の言葉から

 更新が開いてしまいました。

漫画のネタバレが入るかもしれませんがご了承ください。

 今回は、お堅い民主主義というテーマです。

 僕の好きな漫画にモーニングで連載されているギャングースというものがあります。

 その中でカズキという育ちに恵まれなかった主人公が(内容のみで字面はうろ覚えですが)「世の中の人の半分が思ったことが現実になるっていうのが本当だったら、恵まれない子供だって救われるはず」みたいなことを言うんですね。

 過半数の意見が総意となる民主主義のことですね。今回のテーマです。

 では、なぜ子どもたちは助からないのでしょうか。

 そもそも日本の投票率の低さや政治的関心の低さは散々問題として要因から解決策まで議論されてきました。

 僕は、日本の民主主義のレベルの低さは「危機感の欠如」にあると思います。

 

 そもそも政治家は全国民を幸せにする学級委員長ではありません。選挙で自分に票を入れてくれた人たちの代弁者として政治活動を行うのです。そもそも民主主義は全ての人を幸せにするものではありません。一番多く票を集めた意見が国民の総意となるのです。

 どういうことかというと、選挙とは若者vs老人、男vs女、高所得vs低所得、都会vs地方などのそれぞれの層で日本中の利権や税金を取り合うものなのです。

 選挙にこない若者が、暇つぶしに選挙にくる老人の電車代を税金から負担させられる状態は、民主主義によって若者が老人に敗北したことを意味するのです。

 

 ここで重要なのは全ての人に一票が与えられていること、票を入れなければどれだけ正しいことでも意味がないということです。

 例えば保育園を作れ日本シネと、デモをしたとするでしょう。マスコミも取り上げます。朝日新聞毎日新聞あたりでしょう。でも、それだけでは何の意味もないのです。それで自分たちの意見を主張することには成功しました。次はその意見をもって選挙にいくこと、出来れば団体を結成して組織票を持つこと。そうすれば、その票欲しさに選挙の際に「保育園を作る」と代弁してくれる政治家が出現します。そして、仮にその人が当選したとして、任期中に宣言したことを実現させる実行力があるのか、なければ次は別の人に入れるということを繰り返すことで自分たちの意見は政治に反映させていくのです。

 代弁してくれる候補者がいなければまずは白票を入れればいいのです。選挙にこない層向けの政策など政治家にとって何の意味もないのですからするわけがありません。まずは自分たちの票層をアピールする必要があります。

 それをデモだけやって、新聞に載っていいことをした気になって、投票日に選挙に行かずにパンケーキでも食べならが女子会をやっている。そして帰宅後は夕方ワイドショーで政治家の不祥事をみて、「自分たちは毎日こんなに苦労してるのに」などの感情論をボヤく。そんなことをしているだけでは社会は変わりません。自分の一票を大切にしましょう。

 

 また、大多数の人は素人です。これは政治以外の全ての分野に当てはまります。ファッションから数学まで世の中の大多数の人たちは「わかっていない」連中です。そのため「わかってる」連中がリードして分野は進むわけですが政治は「わかってない」素人の多数決に支えられます。

 簡単に言えば、TPP反対、原発反対、集団的自衛権反対、公務員給料減らせ、地方にお金をよこせ、という理想論が人気も出て本来は強いはずなのです。実際は綺麗事では解決できないから、世の中が動いているわけです。しかし、そのような事情を知る少数派の知識人の意見と素人の感情論が選挙の際は同等に扱われてしまうのです。子供手当にしか興味のないマイルドヤンキーから日本はどうあるべきかを考える大学教授まで同じ一票なのです。

つまり、民主主義平等選挙とは低所得低学歴の人たちへの出血大サービスなんですね。

 ただそのような弱者たちは出血大サービスだということにすら気づかないわけです。そしてテレビで文句だけ言って選挙にこないのです。

 その結果、アベノミクスは選挙に来る大企業や高所得者など強者の票を集め政治的には絶好調ですが、テレビでやネットでは選挙に来ない弱者のアベノミクス批判が大半という矛盾した現象が起きるのです。本当にほとんどの人がアベノミクスに反対すれば、自民党が圧勝するはずなどないのですから。

 この投票率の低さが起こした選挙に来る有権者の層が偏る状態は良いのか悪いのかはなんとも言えません。会社に例えるとわかりやすいかもしれません。あまり頭の良くないアルバイトから社長まで全員平等で民主主義で意思決定を行い会社を回せば従業員の満足度の高いホワイト企業が完成するでしょう。しかし、競争力を維持することは難しいのです。大半の現場職員は現場のことしか知らず会社の経営や方針、コスト管理の専門知識などないにも関わらず意思決定に絡んでしまうからです。

 なので、普通は成績の良い優秀な人材に権力を集中させることで独裁的ですが効率的な意思決定を行い会社の競争力を高めるのです。その結果、ブラック企業が生まれる可能性もあります。しかし、民主主義ホワイト企業では倒産する可能性もあるのです。どちらが良いとは一概に言えません。

 サッカー日本代表をファン投票で選べば人気は出るでしょうが、他国に勝てるのでしょうか。おそらく専門家の監督や協会に任せた方が日本代表は強くなるでしょう。

 

 今の日本は、選挙権を全員が持ちながらも国民全体の意識は低く、それなりの意識を持った人しか投票しないため、憲法改正などの現実的な意思決定が可能な状態なんですね。

 最初のギャングースのカズキのセリフに戻れば、「選挙に来る人の半分が思ったことが現実となる」、そして選挙に来る人は高学歴高収入都市圏大企業中年男性が多い。そして彼らの意見が国民の総意となっている状態なのです。

 投票率が6割だったから過半数は3割です。3人に一人以下の少数意見でこの国を動かせるわけです。

 

 民主主義に絶対的に正しい意見なんてありません。自分がどんな人間で誰が一番自分に利益をもたらしてくれるのか。

 負ければ自分と真逆の奴らに自分の税金が使われる。

 まず、そのことに個人としてとにかくシビアになることが民主主義を発達させる最初のステップだと思っています。

 どうすればこの国が良くなるのかなんてその次の段階の話でしょう。

 

どうでもいい小話。ブスほど本を読め。

 今回は本当にどうでもいい小話を一つ。おそらく文章もめちゃくちゃです。人によっては不快な思いをさせるかもしれません。ブスについて語ります。ご了承ください。

 

 アメリカに東海岸the strokes/ストロークスというロックバンドがあります。あのレディオヘッドの「ok computer」や「kid a」でインテリ化が突き抜けてしまった感があった当時のロックシーンをファーストアルバムの「Is this it」の衝撃で原点回帰させたバンドです。ストロークス、ホワイトストライプス、リバティーンズ、ヴァインズ、バイブスなどのバンドの登場で、リバイバルムーブメントが巻き起こりました。

 ストロークスのメンバーは全員がイケメン、高身長で、富裕層の子息(一人だけ一般家庭出身、でもイケメン)という反則スペックです。MCになると急に自嘲的になって腰が低くなり、そういうところも育ちの良さを隠せないお茶目な感じで。

 そんなイケメンたちに、最高にクールでシンプルで都会的なロックを気だるそうにされてしまうと、イギリスが誇る最高のロックスター、リアムギャラガーでさえ「てめーらなんか怖いと思ったことがねーんだよ」と訳わからんガンを飛ばすしかない訳です。あの世界というスープにフォークで戦いを挑むリアムがですよ。

 実は、ストロークスの圧倒的な外見は偶然ではなく必然なんですね

 代々お金持ちの家に生まれた彼らはお金持ちのおじいさんが美人のおばあさんを口説き、エリートとして生まれたイケメンのお父さんが美人のお母さんを口説くというループに入っているわけです。

 ボーカルのジュリアンのお母さんは元モデルでミス デンマークに輝いたこともある美人さんで、ギターのアルバートのお母さんもアルゼンチン人の元モデルで美人コンテスト優勝者だそうです。

 所得の差が開く、それが教育にも影響を与え、結婚相手も決めてしまう欧米ではお金持ちは必然的に長身美形高学歴になるようになってるんですね。

 

 ハーバードもケンブリッジも私立大学ですが、日本の東京大学は国立で年間の学費は60万以下です。かつ、シビアな受験戦争を勝ち抜いた人が平等に入学できる受験システムになっています。

 そして、新卒採用と終身雇用が根深く良くも悪くも残っているため、在学中は興味の赴くままに好きな分野を勉強できます。哲学を勉強して、銀行員に普通になれるのはおそらく日本だけです。北欧の教育大国と呼ばれるような国々でさえ、歴史や文学の学生は就職が難しいため女の子か金持ちがほとんどだそうです。

 バカとブスほど東大に入れとはよく言ったものですね。東大はダメでも比較的偏差値が高い国立大学が最も学費が安いという事実は、貧困家庭の子どもたちに勉強を勧めるのに十分な理由となります。所得と学力の相関関係が指摘されて久しいですが、それはレベルの高い大学ほど貧乏人が少なく授業免除や奨学金が受けやすいということにも繋がります。

 そんな素晴らしく平等な学生期間を過ごした日本の学生たちは、勉強していようが遊び呆けていようが、ほとんどの人は民間起業または公務員に就職します。

 その中でトップクラスの企業かつ、トップクラスの出世コースに乗った人たちが駐在員としてロンドンやニューヨークに派遣されるわけですが。

 欧米は、格差社会かつドライな実力社会で、大学の専門分野で企業のインターンシップを受け、そのまま就職すれば一年目から数千万単位を稼ぐシステムです。日本のように企業に育ててもらった恩や企業が解雇しない情などのウェットな要素が少ないので実力=収入に直結するわけです。そして、終身雇用制度もないのである程度貯えた優秀な人は、40程度で引退し、投資家や資産家の道をのんびり歩むわけです。

 実力のある若手とは、ストロークスのループにいるイケメンかつ金持ちの子どもです。

 そんな彼らと、格差の小さな社会でトップを走ってきた日本駐在員が同じ高級住宅街に住むことになるのです。するとどうなるのでしょうか。

 僕は少しの間、そういう都市に滞在したことがあります。正直に言います。ブスかデブかチビがいたらそれは日本人の駐在員かその家族だと一発でわかります。

 そして、駐在員たちも隣のビルで働いている外国人たちは何倍も給料を稼ぎ、大学時代単位を取っていただけの自分と違い教養もあるという現状に耐えきれず、日本人コミュニティに逃げ込み、自分たちのための日系キャバクラを作るのです。

 これを言うと、よく「じゃあ外国人になれよ」などと言われますが、僕が言いたいのは日本人がお金を稼いでも意味がないということではありません。

 一つは、大学時代に好きなことを勉強して教養を身につけろということてす。

 文学や哲学や生物学など、就職に役立たない勉強をしても就職出来るのが日本で、法学や経済学も海外の学生に比べれば圧倒的に楽に卒業できます。他の専門分野を齧る機会はたくさんあるのです。

 一流ビジネスマンになっても、旅行や外食、キャバクラやブランドショップしか行くところがない人は多いでしょう。それで大きな顔をして駐在先に乗り込んできたら、白人イケメンエリートの足元にも及ばない。そんな人生から抜け出せるセンスや教養を磨くチャンスが日本の大学生の期間にはたくさん用意されているのです。一流ビジネスマンが教養もあれば最強でしょう。

 もう一つは、日本の一流サラリーマンでもそこまで年収が高くない、だから別の楽しみを探せということです。日本の終身雇用や年功序列に守られた労働者たちは、子どもたちにも自分と同じ道を歩ませてきました。しかし、バブル経済の崩壊後は一流企業に入っても褒めてくれる親や評価してくれる上司より生涯年収が低いという状態が続いています。これだけ格差が少ない社会で、エリートレールも20年以上陥没し続けている現在、自分の好きなことを探して生きるという選択肢の価値も上がっているのではないでしょうか。社会の多極化が進んでいるため、インターネットなどを利用して働きながら、自分のしたいことを追求するという生き方も簡単になってきました。

 ワークライフバランスという言葉も流行っていますね。

 日本の企業戦士たちは社畜と揶揄される現代で、社畜のドッグレースなど嫌になればいつでも降りればいいのです。

 

バカとブスほど東大にいけ、そしてチビとブスほど大学で本を読め。

この一言にまとめたいと思います。

 

 

 社会の多極化やテンプレレールの老朽化はいわゆる「意識高い系」が大企業批判としてよく行っているんですが、それも少し違うかなーと思っています。

 それは常識の近代と自己選択の現代の問題になるのでまた、機会があれば。

羽鳥橋下の番組 11月28日 チケット転売は悪かについて

 羽鳥橋下の番組の11月28日の放送を見ました。

 

 今回は究極の選択というテーマで、刑務所が近所に移転することに賛成か、娘にせがまれるとプレミアチケットの転売も買うか、大事な仕事の日に微熱の若手社員を出社させることはモラハラかの3つの話題について議論されました。

 

 今回、僕が注目したいのはチケット転売についてです。

 橋下徹さんは、チケット転売に賛成。安く仕入れて市場の適正価格で高く売ることは資本主義の大原則であるとして、チケット転売には賛成の立場をとりました。

 

僕も、橋下さんの意見に賛成です。今の転売屋さんは怖そうなイメージがあって嫌いですが、転売そのものはなぜ批判されているのかわかりません。

 

 まず資本主義の考えでいくと、橋下さんの言うとおりで株や証券のように価値のあるものを仕入れて相応の値段で売るのは間違ってないと思います。

 さらに言えば、レコードやファッションのセレクトショップなどの小売業も転売ですし、ヴィレッジヴァンガードはその典型でしょう。

 また、スーパーよりコンビニの方が便利という付加価値がある分、割高なように、発売日に並ぶ必要がなく確実に入手できるという付加価値が転売チケットにはあります。

 需要と供給の点から考えると、売り切れがわかっていれば、キャパシティの大きな箱でする、ライブの日数を増やすなどチケットの在庫を増やすことはいくらでもできます。日本中でスタジアム3days即完のライブバンドが日本にいくつあるのでしょうか。

 もちろん、チケットの価格をあげて需要に合わせることもできます。

 発売日を早くして需要をコントロールすることも可能でしょう。

 

 ここからは、一人の音楽好きとしての僕の意見です。

 はっきり言って、チケット転売は主催者側が防ぐことは出来ます。

 例えば、イギリスにグラストンベリーフェスティバルという世界最大規模の夏フェスがあります。約一週間の通し券十数万枚が即完するという世界屈指の人気フェスです。

 これ以上、フェスの規模を大きくすることも出来ず、チケットの発売も9ヶ月前で主催者の努力で需要と供給をコントロールすることもこれ以上できません。

 しかし、グラストンベリーには顔認証というシステムがあります。チケットに購入者(事前登録必須)の顔写真が印刷されるのです。

 これにより、グラストンベリーは転売を抑えるだけでなく9ヶ月も前に、仕事や学校を放り出し一週間イギリスの田舎で過ごす覚悟があり、かつ争奪戦に勝利した幸運な人のみが参加できる最高の空間をつくっています。

 メディアや、出演しないアーティスト向けの関係者パスも厳しく、プレミアチケットもvipチケットもない。好きな人だけが来れて、フェスの中では今年は呼ばれなかったアーティストや有名人、金持ちから貧乏人まで全員平等にテントを張って音楽ファンとしてフェスを楽しみます。

 日本ではももいろクローバーZが顔認証や当日券販売、不要チケットの公式サポートなどでチケットの価値をコントロールしているようです。

 

 準備をして気合が入っちゃってるのがかっこ悪いという今時の若者にはベルリンにベルクハインという当代最高のクラブがあります。

 基本的に入場方法は当日のドアーのみで週末になると長蛇の列が出来ますが、ほとんどの人は入場を拒否されて帰らされます。入れるのは音楽が好きそうな本物のクラバーだけ。それを決めるのはドアマンの独断と偏見です。早く並ぼうが関係ありません。珍しがった観光客やデートのついでのカップル、ナンパ目的の男は論外でまず弾かれます。

 ベルクハインはこのシステムで千数百円と格安の入場料で最高の音楽と音楽好きを集めて素晴らしい空間をつくっています。

 

 また、ベルギーにトゥモローランドというEDMの祭典があります。グラストンベリーと並ぶチケット確保が最難関の夏フェスですが、こちらはチケット転売が可能です。世界最高難易度のチケット争奪戦、転売価格は数倍と注目を集めることで自身を宣伝してセルフブランディングすることに成功してます。

 参加者は、あの世界最高難易度のチケットをもって世界最大規模のフェスに参加していることが楽しいのです。

 

 このように、その気になって努力すれば仮に転売が合法化して旅行代理店のようなチケット代理店ビジネスが成立しても、主催者はチケットの価格をコントロールすることは出来ます。また、その能力はイベントそのものの質、主催者のこだわりに比例しているとも言えるでしょう。

 その努力をしないのはプロモーターの怠慢と感じてしまいます。

 チケット規約に転売不可と書くのであれば、自分たちで転売をネットで発見して見せしめに何件か訴訟を起こせばいいのです。それだけで抑止力になるでしょう。

 

 僕がチケット転売言説に感じている怠慢はもう一つあります。

 それは、チケット転売反対の方々に対してです。

 彼らは転売禁止と書かれたチケット規約、ダフ屋は迷惑防止条例に反していること、古物商の資格や物価統制令などを持ち出し、転売業者による価格の釣り上げや反社会勢力の収入源となっていることを取り上げます。

 しかし、現状をどのように解決するかについて全く考えません。

 チケット転売が行われているのが現状で被害者を自称するにも関わらずです。

 僕は、この問題を解決するには堂々と旅行代理店のようにチケット転売や手配代行が出来る社会になるべきだと考えています。

 そうすることで、法的な整備が進み市場価格が維持できるように規制も行われ、利益からは税金も支払われるでしょう。どうしても定価でファンに届けたいアーティストは上記の本人確認のような努力を各自ですればいいのです。転売があろうとなかろうとアーティストは完売すればビジネスとして成功しているのですから、それ以上のこだわりは法律に頼らず自分で努力すべきです。

 チケット転売を正常化するために、情報を発信し声を大きくすることで選挙の際に自分たちの声を代弁してくれる候補者を確保する必要があるでしょう。

 どうしてもチケット転売に反対するなら今より重い罪として厳罰を与えようという声を大きくすればいいのです。現在の法律に当てはめ転売業者の批判だけ行っても意味はほとんどないでしょう。

 今の転売批判の方々は損をしていると自覚がありながらも愚痴を続けるだけで、現状を変えないことに危機感を持たないほど無気力な弱者たちだというのが、正直な印象です。

 彼らのせいで転売業界は怖い人たちが独占し、ライブ会場も面白くなくなっているのです。終 12月1日昼

 

 

音楽好きなので、少しアツくなってしまいました。僕は、最近はライブに行かずクラブばかりですね。

著作権にも言えることですが、最前線は現場のアーティストやレーベル、出版社などが工夫したり揉めそうになると直接交渉したりと対応して、門外漢の法律家が作る法律はトップのアートの世界ではそこまで重要ではないのではという感覚がなんとなくあります。ではでは。